投資信託の歴史(1990年~1999年)


1990年 日本のバブル崩壊が始まる。
1990年 外資系企業が投資信託委託業務に進出。
1990年8月1日 投資信託業界が、中途解約留保金の新設、募集手数料の多様化、信託報酬の引き下げなどの制度改正を実施。
1990年10月31日 ウォーバーグ、ジャーディン・フレミングが免許を取得。
1990年11月30日 エイアイエム投信が免許を取得。
1991年 湾岸戦争、ソ連崩壊。
1991年 大阪証券取引所がカントリーファンドの売買取引を開始。
1991年11月29日 東洋投信が免許を取得。
1992年 日本のバブル景気終結。
1992年1月7日 シュローダー投信が免許を取得。
1992年4月24日 大蔵省、「証券投資信託業務の免許基準の運用について」を改正(設立母体の資格要件緩和、免許審査を「年1回程度」から「随時」に変更等)。
1992年 元本割れのまま償還期限を迎えるファンドの中で、信託期限を延長するファンドが出てくる。
1992年5月11日 証券会社、短期公社債投資信託(MMF)の販売を開始、銀行系が投資信託委託業務に進出。
1993年 MMF、中期国債ファンドのキャッシング業務が開始。
1993年9月30日 クレディ・スイス投信が免許を取得。
1993年10月8日 エス・ビー・アイ・エム投信、さくら投信、三和投信、農中投信、富士投信が免許を取得。
1994年 ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦悪化。
1994年7月19日 日本興業投信が免許を取得。
1994年9月27日 セントラル投信が免許うを取得。
1994年12月12日 大蔵省が「投資信託改革の概要について」を発表(ディスクロージャーの充実、公正取引ルールの拡充、先物等のヘッジ目的以外の運用手段としての活用及び私募債・証券化商品投資解禁など)。
1995年 阪神淡路大震災。円高進行(1ドル80円割れ)
1995年 デリバティブのヘッジ目的以外への利用を含む運用規制緩和→ブル・ベアファンド発足。
1995年4月27日 ニッセイ投信が免許を取得。
1995年5月16日 日経300上場投信(日経300株価指数連動型上場投資信託)スタート。
1995年6月29日 ジー・ティー投信が免許を取得。
1995年9月14日 モルガン・スタンレー・アセット・マネジメント投信が免許を取得。
1995年 免許基準が一部改正され、投資一任業者の投資信託委託業務併営が可能に。
1995年9月14日 大蔵省、野村証券投資信託委託と大和証券投資信託委託に対し、投信会社としては初めて投資一任業務を認可。
1995年11月10日 フィデリティ投信が免許を取得。
1995年11月13日 ベアリング投信が免許を取得。
1995年11月20日 ディービーモルガングレンフェル投信投資顧問が免許を取得。
1995年 証券会社系委託会社の直接販売スタート。
1996年 橋本首相が日本版ビッグバン構想を表明。金融システム改革の着手を指示。免許基準が一部改正され、支店形態で進出する外資系投資顧問会社に投資信託委託業務を認める。
1996年2月23日 ゴールドマン・サックス投信が免許を取得。
1996年4月1日 エヌ・シー・ジー投信が免許を取得。
1996年9月24日 ロスチャイルド投信投資近近が免許を取得。
1996年11月12日 バンカース・トラスト投信投資顧問が免許を取得。
1996年12月3日 アライアンス・キャピタル投信が免許を取得。
1997年 証券取引審議会総合部会が「証券市場の総合的改革」をとりまとめ、公表。これを受けて大蔵省は、「金融・証券関係の規制の撤廃等について」を公表。
1997年 アジア通貨危機、国内金融機関の相次ぐ破綻。
1997年 銀行の店舗間借りによる投資信託会社の直接販売の開始。
1997年 未上場・未登録株式の投資信託への組入れ解禁。
1997年 証券総合口座の導入。
1997年3月28日 エイミック投信投資顧問が免許を取得。
1997年5月12日 東京三菱投信投資顧問が免許を取得。
1997年7月 グリーンシート創設。
1997年10月 証券総合口座スタート。
1997年10月1日 ピクテ投信投資顧問が免許を取得。
1997年12月1日 都市銀行や生命保険会社が証券投資信託の窓口販売を開始。
1997年12月25日 メリルリンチ投信投資顧問、コメルツ投信投資顧問が免許を取得。
1998年3月31日 安田火災グローバル投信投資顧問、クレディ・リヨネ・アセット・マネジメント投信、第一ライフ投信投資顧問、バークレイズ投信が免許を取得。
1998年 金融システム改革のための関係法律の整備等に関する法律が施行。「証券投資信託法」が改正され、「証券投資信託及び証券投資法人に関する法律」に改められる。(会社型投資信託や私募投信の解禁、銀行等による投資信託の窓口販売の導入)。
1998年5月29日 東京海上アセットマネジメント投信、ユー・ビー・エス投信投資顧問が免許を取得。
1998年6月16日 エイチ・エス・ビー・シー投信投資顧問、スカダー・インベストメンツ投信、ソロモン投信委託が免許を取得。
1998年8月 ロシア危機。
1998年9月30日 プルデンシャル三井トラスト投信、ステート・ストリート投信投資顧問が免許を取得。
1998年10月 米国ヘッジファンドLTCM破綻。
1998年11月20日 証券投資信託および証券投資法人に関する法律施行令公布、12月1日施行。(日本版「金融ビッグバン」の具体策として、「金融システム改革法」が施行され、「証券投資信託及び証券投資法人に関する法律」に改正。ファンド設定における個別約款承認制を廃止し、免許制を認可制へ変更、私募投資信託及び会社型投資信託の導入、銀行窓販開始など)。
1998年11月24日 ウォーバーグ・ピンカス・アセット・マネジメント投信、インドカム・アセット・マネージメント投信が免許を取得。
1998年11月30日 エスジー山一アセットマネジメント、チェース投信、ビー・エヌ・ピー投信が免許を取得。
1998年12月9日 しんきんアセットマネジメント投信、認可を受ける。
1999年 大蔵省の金融審議会第一部会が「集団投資スキームの整備について」報告書をとりまとめ、公表。
1999年1月 ユーロ導入開始。
1999年2月18日 東洋信アセットマネジメント、ジーイー・アセットマネジメント、大和住銀投信投資顧問、認可を受ける。
1999年3月25日 住信アセットマネジメント、フランク・ラッセル投信、三井海上投資顧問、安田ペインウェバー投信が認可を受ける。
1999年4月22日 朝日ライフアセットマネジメント、第一勧業ジェーピーモルガン投信が認可を受ける。
1999年5月27日 エービーエヌ・アムロ・アセット・マネジメント投信、さわかみ投信が認可を受ける。
1999年6月1日 ローソンが証券投資信託の紹介を開始。
1999年9月30日 アイエヌジー投信、住友ライフ・インベストメントが認可を受ける。
1999年10月 名証セントレックス創設。
1999年10月26日 ユナイテッド投信が認可を受ける。
1999年11月 東証マザーズ創設。
1999年12月9日 千代田火災アセットマネジメント、マサチューセッツ・インベストメント・マネジメントが認可を受ける。
1999年 元本確保型ファンドの誕生。

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